どうも、たっつんです!
私はお金を使うのが好きなタイプではないですが、時として意識して使う必要もあるとも思うことがあります。
人間は賞味期限のある生き物につき、お金は使える時に使った方がいいよね、という話です。
死生観
普段意識すらしていないですが、当然ながら人は誰でも死んでしまいます。よくよく考えると、人が死を意識するのはいつ頃からなのでしょうか?
数年前、父親が他界した時、本人は余命宣告を受けてから死を意識し始めたように思います。病に伏せ入院し、各種検査の過程で薄々は考えていたのかもしれませんが、明確に死を拒絶したのは余命宣告をされてからだったように思います。
さて、余命宣告をされている状態とそうでない状態では、人の寿命は変わるのでしょうか。答えはNOで、いつかは人の定めに従って死んでしまいます。
私も、私の周辺にいる人も皆死ぬわけです。だけど、それを意識している人はおそらく一人もいないでしょう。
ほとんどの人は余命宣告を受けてから「身辺整理をする」「家族と同じ時間を過ごす」など、残された時間で自分が本当にしたい行動を意識するのではないでしょうか。
だけど、本当は余命宣告を受けていなくても心からやりたいことをする方がいいに決まっています。なぜなら、人がいつか死ぬという意味では余命宣告を受けようが受けまいが、何ら変わりはないからです。
賞味期限
人には賞味期限があります。
一番長いものでいえば寿命です。有限の貴重な命がその最たるものです。
ただし、それだけではなく、加齢により体力や気力が衰えていくことも、ある意味で賞味期限と捉えることができるでしょう。
何かしらアクションしたいことがあるとして、20代と60代で実施するのでは体験の量も行動の量も異なります。得られる感動も喜びの量も違ってくるでしょう。
端的にいえば「やりたいことは早くやったほうがいい」と思うわけです。
人はいつか賞味期限が切れる生き物ですし、喜びを先送りにするがあまり、何一つ得られずに人生の幕を下ろしてしまうのは悲しいことです。
必要以上の金は使ってしまおう
そういった意味では、今必死に資産形成に取り組んでいる中ではあるものの、使うべき瞬間では惜しみなくお金を使うことも必要だと思うのです。
余命宣告をされていなくても人生は有限です。限りがある時間だからこそ「お金という数字をより大きく育てる」ことだけに心血を注ぐ生き方はまっぴら御免です。
私はFIREを目指していますが、FIREまでの過程でもお金はしっかり使っていきたいと思っています。なぜなら金で買える経験は沢山ありますが、金そのものから得られるものは無いからです。
老後のための資産形成は当然重要ですが、たくさんの資産を持って死んでしまったとしても、残った資産は「タダ働きの対価」以外の何者でもありませんからね。
タダ働きの対価を溜め込んで死ぬくらいなら、賞味期限が切れる前に「やりたいことを好きな人と一緒に経験できる価値」を買いたいと思います。
金でできることは沢山あるけれども、金でできることなんて限られています。そんな矛盾を愛しく思いつつ、賞味期限が来るまでを楽しむ生き方がいいのかなと思います。
本音では永遠に大事な人たちと生きたいですが、それは今のところ無理そうですしね。
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